「五つのパンと二匹の魚」

 日本が第二次世界大戦に負けた翌々年のある日、身動きできないほど満員の汽車の座席に美喜さんは座っていました。何かの拍子で美喜さんの膝の上に網棚から紫色の風呂敷きが落ちてきたんだ。美喜さんが何気なくそれを網棚に戻そうとした時、

警察官が近寄って来て
「その包みを開いて見せろ」
と、言ったんだって。
もともと
美喜さんの風呂敷ではないし、人の物を勝手に開くなんてと思いましたが、警察官の命令に仕方なく美喜さんが風呂敷を開いてみると、中から新聞紙に包まれた物が出てきました。新聞紙を開いてみると、なんとその中から黒い肌をした生まれたばかりの赤ちゃんの死体が出てきたんだって。

 それを見た警察官は
「きさま、敵国の混血児を生みちらかして、捨てようとしたのか!」
と言って
美喜さんを逮捕しようとしたんだけど、美喜さんはその時きっぱりと、こう言い返しました。
「この列車にお医者さんが乗っていらしたら、すぐここに呼んで私をお調べください。今すぐにでも私は裸になりましょう。私が生後数日の子を産んだ体か、さあ!ここで診察してください!」

 
美喜さんは、三菱財閥を興した岩崎弥太郎の孫娘で、三人のお兄さんに揉まれ、その男勝りの性格から「女弥太郎」と呼ばれるほど、威勢のいい女性だったんだそうです。そんな美喜さんに警察官も少しタジタジになったようなんだけど、結局、乗り合わせていたお客さんが

「別の若い娘が網棚に置いて降りていきました」

って証言して、
美喜さんが逮捕されることはありませんでした。日本が戦争に負けてアメリカの兵士が沢山やって来て、日本人女性との間に赤ちゃんが沢山生まれたんだけど、生まれたばかりの赤ちゃんがドブに捨てられたり、道端に捨てられる事件が増えて、神様を信じるクリスチャンの廉三さん美喜さんも、とても心を痛めていたんだって。美喜さんには自分の膝の上に混血児の赤ん坊の死体が落ちてきたことが、単なる偶然とは思えなかったようで、神様が、この子のために何かをしなさいと自分に命じておられるのではないだろうか・・・そんな風に思ったんだ。

 その時、
美喜さんは、かつて15年前にイギリスで見たドクター・バーナースホームっていう施設のことを思い出していました。ドクター・バーナースホームはお父さんお母さんが死んで独りぼっちになってしまった子どもを引き取って育てる施設なんだけど、そこの子ども達と触れ合ううち、それまで「お金で買えない幸せなど無い」と思っていた、お嬢様育ちの美喜さんが、「ここにお金で買えない幸せがある」って感じて、神様を信じる心が開かれていったんだそうだ。そして美喜さんは、イギリスで神様にこんなお祈りをしたんだって、
「もしも神様が許して下さるなら、いつの日か日本にもこの明るい子供たちの施設を作らせて下さい」ってね。