続・放蕩息子

ルカによる福音書 第15章25〜32節
 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると音楽や踊りのざわめきがきこえてきた。そこで、僕(しもべ)の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず。父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上(しんしょう)を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』


YACCOのつぶやき
兄と弟と教会の兄弟姉妹

私達の親が子どもだったころ、5〜7人兄弟は珍しくはありませんでした。実際、私の父は7人兄弟の3番目、母は10人兄弟の9番目です。私自身は3人兄弟ですが、姉と妹にサンドイッチされた一人息子の長男です。今頃は一人っ子も珍しくありませんし、子ども3人でも子沢山と言われる時代ですから、若い男性の殆どが長男です。今時、次男、三男は希少価値になっちゃったんですよね。

 長男は昔風に言えば家督(かとく)を継ぐべき子どもです。代々、老舗(しにせ)を守ってきた家に生まれた最初の男の子は、生まれ出た瞬間に次代店主としての一生が決まってしまってたんですね。昭和30年代頃までは、長男は中学を出たら代々守り継がれた匠の技を習得すべく修行を始めなければなりませんでした。能や歌舞伎、狂言など伝統芸能の世界にあっては今も変わりなく、幼少のみぎりに初舞台を踏むことも珍しくありません。親たちは幼い頃から家督についての意識を養い育ててきた訳です。

 さて、少子化の時代に放蕩息子(次男)とその兄のような関係は、少し縁遠い話しになってきているのかもしれませんが、この兄弟の関係を現代の日本に置き換えると、以下の短編小説のようになります。


短編小説 現代版・放蕩息子
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