十字架に及ばない
作詞・作曲 YACCO
'97.1
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どんな人の 心にも 重い重い荷物がある
でも どんな重荷でも イエス様の十字架に及ばない
肩の肉をちぎる重さ 前に進めないほどの
イエス様の十字架の重みは 私とあなたの身代わりの十字架
誰にも真似のできない イエス様だけの愛の御業(みわざ)
誰にも真似のできない イエス様だけの愛の御業
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どんな人の 心にも 深い深い 傷がある
でも どんなその傷も イエス様の十字架に及ばない
御手に打たれた釘の傷み 汚れを入れた霊の傷み
イエス様の十字架の傷みは 私とあなたのあがないの十字架
誰にも真似のできない イエス様だけの愛の御業
誰にも真似のできない イエス様だけの愛の御業
誰にも真似のできない イエス様だけの愛の御業
誰にも真似のできない イエス様だけの愛の御業
| キリストの受難をテーマにした歌を書きたいとの思いを温めていた頃、ある姉妹の傷みを知りました。まだ20歳を過ぎたばかりの娘さんが白血病に冒されていたのです。教会員がこぞって献血をし、祈りを一つにしましたが、娘さんが生き長らえることは出来ませんでした。しかし、祈りが聞き届けられなかった訳ではありませんでした。娘さんは自分の意志で、病床洗礼を受けられ、永遠の命の約束を手に天国へと召されて行かれたのです。 姉妹の母としての心痛を傍らで目の当たりにしながら、この世で経験する悲しみの中で、我が子を失う悲しみほど悲しいことは他にないと思い知らされたことでした。同時に、御子イエスを死に渡さなければならなかった父なる神の傷みを知らされた気もしました。 そうした親の苦しみもさることながら、イエスさまご自身の苦しみは、愛する者たち(人類)から裏切られ、死に渡される瞬間父なる神からも見捨てられる、更に深い深い傷みであったろうと想像する時に、その傷みが後にも先にも、イエスさまを以てしか耐えられない最上級の傷み苦しみであったと知らされました。到底、人には耐えられない事柄であったに違いありません。 だからこそ、イエスさまはどんな人の苦しみにも、傷みにも寄り添うことがお出来になるのだと…、そしてそれは他でもない「愛」故の御業であったのだと…。そうした思いを讃美の歌として書き上げたのがこの「十字架に及ばない」です。 |