あなたの信仰が、あなたを救った

ルカによる福音書18章31〜43
◆イエス、三度死と復活を予告する
18:31 イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子について預言者が書いたことはみな実現する。 18:32 人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。 18:33 彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」 18:34 十二人はこれらのことが何も分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。

◆エリコの近くで盲人をいやす
18:35 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。 18:36 群衆が通って行くのを耳にして、「これは、いったい何事ですか」と尋ねた。 18:37 「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、 18:38 彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫んだ。 18:39 先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、ますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。 18:40 イエスは立ち止まって、盲人をそばに連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。 18:41 「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言った。 18:42 そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」 18:43 盲人はたちまち見えるようになり、神をほめたたえながら、イエスに従った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

YACCOのメッセージ

涙ながらに伝える思い
−故白波瀬協子さんの信仰に倣う−

故白波瀬協子姉メモリアルコンサート
 先週の日曜日(2月29日)の午後、デイヴィッヅ・ハープの主催で故白波瀬協子姉のメモリアルコンサートを催しました。コンサートにはお母様と妹さんご家族が集ってくださり、協子さんの思い出や証しを交えながら、協子さんの信仰を偲びました。
 もっと早くに、ご家族をお招きして協子さんの歌を聞いていただく機会を設けたかったのですが、協子さんが天に召されてから既に7年が経過していました。しかし、コンサートが終わってから、お母様は「今だから聴けたのかもしれません。それより前だと、とてもここに来られなかったかもしれません」と仰いました。

 協子さんが天に召された7年前、御両親は協子さんがクリスチャンであることを知ってはおられましたが、いろいろなしがらみから葬儀を仏式でなさいました。直後、わたしたちは協子さんがクリスチャンとして天に召された証しとして、教会主催で告別記念の時を持たせていただき、御両親を招待しました。しかし、当時お母様はショックで寝込んでおられ、お父様だけの出席でした。お母様を教会にお招きできるのは随分先になりそうだなと、その時思わされていました。

 それから今日まで、わたしたちは協子さん作詞の「祈ってごらんよ」「愛、それはね・・・」「ありがとう」を歌うたびに、お母様のことを思い起こしていました。そして昨年の暮れ、リーダーのともはる君が「協子さんの記念コンサートを企画しては・・・」と提案してくれて、改めて7年が経過していることに気付かされました。
 これまでにコツコツと買い集めたコンサート用の音響機材が一通り揃ったということもありましたが、何より神様がご家族をお呼びする時機の到来を告げておられるのではないかと感じ、祈りのうちに準備を進めて参りました。そして念願叶ってお母様をお迎えすることができたのです。

 ご家族の方に教会に訪れていただくことは、誰より協子さんの願いでした。わたしたちは協子さんが何を信仰して教会に通っておられたかを知っていただくことを目的に、コンサートを企画しましたが、それ以上に、協子さんはご家族にイエス様に出会って欲しいと願っておられたのです。今日の聖書の日課「フィリピの信徒への手紙」3章18節の中でパウロが「今また涙ながらに言いますが」と語ったように、協子さんが”涙ながらに”ご家族に伝えたがっていらしたこと、それがわたし達に与えられた三つの歌だったと思うのです。
 コンサートの間、ご家族の方は協子さんの歌に触れながら終始涙の途切れることがありませんでした。それは、協子さんが天に召されて7年が経過しても尚、協子さんの愛がお一人お一人の心に息づいていることの証しであると思わされました。そして協子さんの愛がイエス様の愛に裏打ちされたものであったからこそ、少しも古びたり風化したりしていないのだと感じさせられたことでした。コンサート後、お母様は「もう、涙が出ることはないだろうと思っていましたけど、出ちゃいましたね」と仰っていました。

涙ながらに伝えたいわけ

 ”涙ながらに伝えたい思い”、それは”愛による思い”以外に無いと思われますが、体が震え涙が溢れ出すほどの強い思いを、わたし達はいったいどれほど、また、誰に対して持ち合わせているのでしょう。
 協子さんは、そのような”涙ながらに伝えたい思い”をご家族だけでなく、広く子どもたちに対しても抱いておられました。それはきっと、協子さんご自身の生い立ちから来る思いなのだと思わされました。

 協子さんは、幼い頃とても活発なお転婆娘でしたが、小学校に上がる直前に脳内の血管が破れ、左半身が不自由になり視力が低下するという障害を得ました。そのことで地域の小学校へ通うことができなくなり、入院生活を強いられ家から遠く離れた養護学校と宿舎で、リハビリの日々を送ることになったのです。家に帰れば健常な妹弟が妬ましく、妹弟の大事な物を壊したり破ったりして家族を困らせたとお聴きしました。「障害さえなければ・・・」との悔しい思いを抱きながら、しかし誰を責めることもできず、その怒りと悲しみを妹弟にぶつける他はなかったのでしょう。そんな自分も、何もかもが嫌になった協子さんは、その響きから次第に自分の「協子」という名前すら嫌いになってしまっていました。

 大人になって施設を出た協子さんは、わたしたちの教会でイエス様に出会われました。イエス様に出会ってからの協子さんは、次第に素直に妹弟に「ごめんなさい」が言える心へと変えられていきました。そしてあれほど嫌いだった「協子」という名前も、「協」という字が「十字架に三つの力が寄り添っている素晴らしい字ですね」と牧師に教えられ、「協子という名前を付けてくれたお父さんお母さんに感謝します」と、大好きな名前に変わったんだそうです。
 協子さんはこのような証しを、日曜日の教会学校や若桜の子ども会の中で子どもたちに何度か語って聞かせておられました。子ども時代に沢山の涙を流したからこそ、”涙ながらの思い”を子どもたちに伝えたい・・・と、そう思われていたに違いありません。

自分を大好きになる
 大嫌いだった自分を、大好きに成れた。それは、価値のない者だと思っていた自分が、どんなにか神様に愛されているかを知ったからに他なりません。神様の愛に触れて、家族の愛の深さをも知ることができたのでしょう。そして、たとえどんな境遇にあったとしても、神様が子ども達一人ひとりを広く深い愛で愛しておられる事実を、必死で語っておられたように思います。

 お母様は仏式で協子さんの葬儀を出されたことを心のどこかで悔やまれ、ご自身を責めておられたようですが、しばらくして洞穴から鳩のような光が幾つも飛び出してくる夢を何度か続けて視られたんだそうです。「不思議な夢だなぁ・・・」と思っておられたそうですが、ある日「協子は天使になったんだと思わされたんです」と、コンサートの後に仰っていました。それから、お母様の心の重荷もとれ、ご自身の健康も取り戻していかれたということでした。

 旧約聖書に登場するエレミヤがそうであったように、協子さんもまた、主の聖名(みな)によって、イエス様のお話を子どもたちに語っておられました。使徒の時代のパウロがそうであったように、協子さんもまた、”涙ながらの思い”で子ども達に神様を述べ伝えておられました。そして、エリコの近くでイエス様に目を癒していただいた盲人がそうであったように、協子さんもまた、イエス様への真っ直ぐな信仰を歩んでおられたのです。

癒された盲人の信仰告白
 イエス様がエリコ近くで盲人の目を癒された頃、イエス様の癒しの力は巷でももっぱらの評判になっていました。ですから、イエス様の周りには病を癒してもらいたいと願う人々が絶えず取り巻いていました。今ほどの医療技術が確立されていない時代に、イエス様は行く先々でそうした人々に取り囲まれ、揉みくちゃにされていたのではないかと想像することができます。ですから、イエス様をガードするように12弟子が取り囲み群衆の中を進まれたのではないかと思います。
 そんな状況にあって目の不自由な者が、イエス様に近づくことは殆ど不可能だったと考えられます。別の聖書記事で中風を癒してもらった人のように、信仰に厚い友人に担がれ運んでもらえでもすれば近づくこともできたのでしょうが、当時人々から蔑(さげす)まれ物乞いをするほかなかった盲人にとって、イエス様に近づく唯一の方法は、イエス様ご自身に近付いてもらう他はなかったのでしょう。

 彼は、あらん限りの声を振り絞って呼びかけました、「ダビデの子イエスよ!」と。彼は、周囲の者達に「何事ですか?」と尋ね、「ナザレのイエスのお通りだ」と教えられたにもかかわらず「ナザレのイエスよ!」とは呼びかけていません。つまり、「ダビデの子イエスよ!」との呼びかけの中に彼の信仰告白があったのです。彼は旧約聖書に予言された救い主がダビデの系統から出ることを知っていて、イエス様を「ダビデの子」と信じて呼びかけたんです。そしてその呼びかけにイエス様は足を止められました

疑いの心に対して
 およそイエス様を取り巻く群衆の殆どが「この人は本当に旧約聖書に予言された救い主なのだろうか・・・」との疑いを抱きながら付き従っていたのだろうと思われます。確かに盲目の彼の願いは目を癒していただくことでした。しかし、もしも彼がイエス様の癒しの力を利用するためだけに呼びかけたのだとしたら、イエス様が足を止められることはなかったと思います。イエス様は他の癒しの場面でもそうだあったように、必ずと言っていいほど「あなたの信仰が、あなたを救った」と仰っています。盲人である彼の真っ直ぐに救い主を見上げる信仰の故に、救いの手を差し伸べられたのでした。

 いったい私たちは、救い主であるかどうかの疑いを抱きながらもその思いを隠しつつイエス様を取り巻く群衆の信仰の立場に立っているのか、真っ直ぐに救い主を見上げる盲人の信仰の立場に立っているのか、どちらなのでしょう。その意味では、この奇跡が彼を癒すためにだけ行われたのではなく、一度は彼を戒めた群衆に「あなたの信仰が、あなたを救った」と仰ることを通して、一人ひとりが信仰を見つめ直す機会を与えられたのではないかとも思わされます。
 その場でどれほどの数の人がイエス様の意図に気づけたかは分かりませんが、気づけた者もいたのではないかと思います。

弟子たちの疑心暗鬼
 さて、イエス様はエリコ近くで盲人を癒される前に、弟子達に予言を引用してご自身が異邦人に引き渡され、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられること。そして彼らによって鞭打たれ殺され、三日目に復活することを予言されていますが、弟子達はそれが何を意味するのか、まるで分かりませんでした。聖書を読んで十字架の史実を知っている現代の私たちからすれば、「そこまで言われて、どうして分からないのか」と思ってしまいますが、私たちがその時代その場にいたとしたら、やっぱり同じように理解できなかったと思います。
 神の子として数々の癒しの奇跡を行うイエス様が、植民支配をするローマ帝国を一網打尽にしてくれるのではとの期待を寄せていたイスラエルの民衆にとって、イエス様が鞭打たれて殺されるなど想像すらできなかったのでしょう。それは、弟子達とて同じでした。弟子達はイエス様の死と復活の予言を聞いて

「どうしてこんな話しをされるんだろう・・・。神の子であれば天の大軍を引き連れて帝国を殲滅できるはずなのに、『鞭打たれて殺される』などと弱気になっているんだとしたら、この方は旧約聖書に預言された本当の救い主ではないのかもしれない・・・」

 と、弟子達の中に疑いの心が蠢(うごめ)いていたとしても不思議ではありません。この時点では、イエス様の十字架にどのような意味が秘められているのかを知る弟子は一人もいなかったのです。だからこそ、この盲人の癒しの奇跡が必要だったのかもしれません。弟子達は癒された盲人の信仰を通して、イエス様が「ダビデの子、救い主」であることを改めて確認させていただくとともに、己の疑念を振り払ったのだと思われます。

イエス様の十字架の意味
 エレミヤの予言に対して高官達と民のすべての者が 「この人には死に当たる罪はない。彼は我々の神、主の名によって語ったのだ。」と祭司と預言者を諫(いさ)めたように、イエス様もまた、死にあたる罪は何一つ犯しておられませんでした。にもかかわらず
イエス様が十字架にかけられることになる隠された意味とは、人類すべての人の罪を負い、身代わりとなって死んでくださることだったのです。人類すべての罪を負うことのできる者とは、一点の汚れもない完全な者にしか許されるはずはなく、神の独り子であるイエス様をおいて他に一人として存在し得なかったということができます。そして、父なる神様と同質にして独り子であるイエス様であればこそ、汚れと死の淵から3日目に復活することができたのです。

 しかし、このとき弟子達にはイエス様の予言にどのような神様の計画が秘められているかを理解することはできませんでした。なぜなら、隠されていたからです。とうてい、私達にも理解できなかったと思います。もしもその場に私がいたなら「イエス様、鞭打たれて殺されるなんてそんな寂しいこと言わないでください」と口を挟んで、「信仰の薄い者よ」と窘(たしな)められたに違いないのです。

 神様のご計画、神様の思いは私たち人間の思いを遙かに超えて高く、その渦中にあっては理解できないことが多くあります。テロや戦争、人権侵害や虐待などの事件、事故や病気や親しい者の死。人生を歩む中で長く生きれば生きるほど、私たちは「神様がいらっしゃるならなぜ・・・」と思うほどに理解しがたい事柄や疑問に出会うことがあります。しかし、だからこそイエス様の十字架があるのです。

すべての重荷を負っている人に共感するために

 イエス様は人として最も卑(いや)しい形で家畜小屋でお生まれになり、人として最も辱(はずかし)めを受けた姿で十字架上で死なれました。ご自身で予言なさったように人々に裏切られ侮辱され、乱暴を受け、唾をかけられ、鞭打たれ、そして弟子達にさえ見捨てられて死なれたのです。これほど孤独な心の傷みを伴う死は他に無いのではないでしょうか。お生まれになる時にも、死なれる時にもこれ以上ないどん底をイエス様ご自身が嘗(な)めてくださいました。わたし達が人生をどんなに辛(つら)く感じたとしても、イエス様の十字架上の傷みには到底及びません。だからこそ、どんな傷みにも苦しみにも悲しみにもイエス様は
”共感”することがおできになるのです。
 旧約聖書中に予言されたイエス様を、日本語では
”大牧者”と訳していますが、同じ箇所を英語聖書では”偉大なカウンセラー”と訳していることもうなずける気がします。

共感とカウンセリング
 余談ですが、ご存じのように私は臨床心理士を生業(なりわい)としています。平たく言えばカウンセラーということになりますが、カウンセラー(心理士)クライエント(来談者)と向き合う上で最も大切な原則が、
”共感”です。簡単なようで、これが結構難しいことなんです。
 ”共感”
にはその前提として相手を”理解”することが必要になりますが、もしも”理解”だけに終わってしまったのでは、単にコメンテーター(評論家)アドヴァイザー(助言者)にしか成り得ません。しかし、クライエントがカウンセラーに期待しているのは、そうしたことではないのです。クライエントは傷みを分かつ相手を求めているのです。そして、傷みを分かつためにはカウンセラーがクライエントの傷みを感じ取る以外に方法はないのです。

 カウンセリング入門などの講座で講演するときに、私は時々浜辺の図を描いて受講者に説明するのですが、クライエントは丁度、浜辺から臨む心の海の沖の方で溺れかかっている人に喩えることができます。
 クライエント自身、どうしてそんなに沖まで来てしまったのか解らないままに溺れそうになっているんですが、ここで、コメンテーター(評論家)とは、クライエントがどうしてそんなに沖まで行ってしまったのかを分析し、浜の野次馬に解説を述べる人のことです。しかし、溺れそうな人にとってコメンテーターの声は殆どなんの役にも立ちません。
 また、アドヴァイザー(助言者)はどういう人かというと、浜から紐付きの浮き輪を投げる人に喩えることができます。浜から沖を眺めながら、目測で浮き輪の大きさと紐の長さを決めて海に投げ入れます。浮き輪の大きさと紐の長さがクライエントにピッタリ合ったときにはクライエントを救助することができますが、紐の長さが合わなかったり浮き輪の直径が合わないと、クライエントは浮き輪をつかもうとしてもつかみきれず、以前よりもっと沖に流されてしまうことがあります。
 これに対してカウンセラーは、浅瀬からクライエントに声を掛けながら少しずつ接近して行く人に喩えることができます。足を濡らし、胴を濡らし、胸まで浸かって初めてクライエントが味わっている海の冷たさを感じます。そして泳ぎながらクライエントのもとに辿り着いたときに、クライエントがどれほど深い場所で溺れているのかを知るのです。
 余裕のないクライエントは溺れそうになりながら、カウンセラーにしがみつこうとすることがあります。カウンセラーはそうした場合に備えて泳ぎの技術以外に、酸素ボンベや浮き輪や足ひれを準備しておかねばならいこともあります。つまり、さまざまな心理テストや心理療法などの技術です。しかし、これらの技術はあくまで補助具であって心理治療の核心ではありません。
カウンセラーはクライエントと共に、刺すような冷たい海に震え、涙しながら互いに励まし合って浜辺を目指すのです

心の臨海学校
 カウンセラーとクライエントのこのような営みは、アドヴァイザーの手法に比べ時間を要します。しかし、アドヴァイザーの紐付きの浮き輪に引かれて浜に戻された人は、気が付くとまた心の海で溺れることを繰り返してしまうことがあります。もう、以前の救出で用いた紐付きの浮き輪では、助けられなくなっていることも珍しくありません。段々に、目測で紐の長さと浮き輪の直径を特定することが難しくなって、救出が困難になってしまうのです。
 時間は要しますが、カウンセリングではカウンセラーと共に励まし合いながら浜辺を目指すことで、自身の心の海の泳ぎ方を知らず知らずのうちに身につけていきます。ですから、次に心の海で溺れそうになったときでも、カウンセラーと励まし合ったときのことを思い起こしながら、少しは自分の力で遠く沖に流されないでいられます。また、これ以上は無理だという限界も解るようになって、限界近くになったときに再びカウンセラーの援助を求めることができるのです。
 しかし、カウンセラーとの関係は心の海の中だけの関係です。海岸近くに達して、クライエントが自分の足で浜辺に立つことができたら、別れなければならないのがカウンセラーの宿命です。クライエントはカウンセラーの共感と励ましを得ながら自分の力で泳ぎ切った自信を胸に、現実生活を独歩しはじめるわけですから、そこで「心の臨海学校」を卒業させてあげなければならないのです。そう考えると、カウンセラーは陸に上がることのできない人魚に喩えることができるのかもしれません。そして陸上のソーシャルワーカーにバトンタッチします。

偉大なカウンセラーと偉大な父
 ”偉大なカウンセラー”と呼ばれるイエス様は、わたしたち一人ひとりの心の海に入って来てくださるお方です。わたしたちが傷みや苦しみの中にあるとき、共に海の冷たさと深さを嘗めてくださるお方ですし、浜辺まで泳ぎ着いた後も”偉大なソーシャルワーカー”となって聖言(みことば)を示しながら共に歩んでくださるお方でもあります。わたしたち職業カウンセラーは海難救助として心の海を泳ぐことだけを専門にしていますが、イエス様は泳ぎも歩きもどちらもおできになる達人なのです。きっと空だって飛ぶことがおできになるはずです。わたしたちの人生に、これほど心強いパートナーは他にいないのではないでしょうか。

 ところで、ここで忘れてならないのは、イエス様の十字架上の死で傷んだのはイエス様ばかりではなかったということです。わたし達が人として嘗める最も大きな悲しみの一つに、我が子の死がありますが、独り子であるイエスを死に渡された父なる神様もまた、その傷みを嘗めてくださったのです。父なる神様もまた、わたしたちに
”共感”してくださるお方であるということです。

信仰を映す宝鏡
 話を、エリコ近くで目を癒していただいた盲人に戻しましょう。
群衆や弟子の幾人かが彼の真っ直ぐな信仰に、自分の心の中に巣くう”疑い”に、はたと気付かされたように、教会にも信徒一人ひとりの信仰を映す鏡の役割を果たす人がいます。協子さんは正にその人でした。
 もっとも、すべての教会に協子さんのような方がいらっしゃるわけではないのでしょうが、いずれの教会にあっても、少なくともわたしたちは幼子の真っ直ぐな信仰に触れるときに、自身の心の醜さを映すことがないでしょうか。
 協子さんは、まだ疑うことを知らない幼子のように、真っ直ぐに主を見上げる信仰を持っておられました。始めにもお話ししたように、協子さんが最初からそうのような信仰を持っておられたわけではありません。協子さんも傷みや苦しみや悲しみ、そして妬みや憎しみの中を通ってこられたのです。そんな中でイエス様に出会われ、変えられていかれたのです。

 永田令牧師(現西須磨福音ルーテル教会牧師)が、鳥取教会で伝道師としての働きを覚えておられた頃に、協子さんを
「ルーテル教会の宝です」と評されたことがありました。また、協子さんのお母様が夢に見られたように、協子さんは地上にあって既に天使だったのかもしれません。それ故7年前に、神様が本国である天に協子さんを呼び寄せられたのかもしれないと思わされています。

 最後に、協子さんの遺作となった詩、「ありがとう」を紹介して終わります。

「ありがとう」                  白波瀬協子

私の罪のために十字架にかかって下さったイエス様、
こんな罪人の私を神様のこどもにして下さってありがとう。
私は神様に罪を赦していただきましたが、
私は罪を何度も何度も犯してしまう私で・・・・
こんな自分にもありがとう。
ありがとうのオンパレードの始まりだ。
ありがとうの安売りはしないよ。
ありがとうの言葉はなんて素晴らしいのだろう。
ありがとうの響きはなんて素敵なんだろう。
ありがとうの言葉は簡単、でも難しい。
私は神様に、心からありがとうと言えているのだろうか。
神様、私が心から神様にありがとうと言えますように。
今まで私を育ててくれたお父さん、お母さんにも、
心からありがとうが言えますように。
教会の皆さんに色々お世話になっています。
教会の皆さんに心からありがとうと言えますように。
これからも、いろんな人に、
いろんな事でお世話になることでしょう。
心からありがとうと言える人になりたいです。