「神は愛」

使徒言行録11章19〜26
 ◆アンティオキアの教会◆
11:19 ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも、みことばを語らなかった。 11:20 しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。 11:21 主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。 11:22 このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。 11:23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。 11:24 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。 11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、 11:26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
ヨハネ第1の手紙4章1〜12
 ◆神は愛◆
4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 4:9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 4:11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。 4:12 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

YACCOのメッセージ

愛の神殿を築く
ステファノ殉教事件再考

 使徒言行録第11章19節に記されている「ステファノの事件」とは、使徒言行録7章の末尾に記されている、ステファノの殉教のことです。おさらいとして使徒言行録を少し遡ってみます。

・時代的背景
 イエス様の十字架と復活の後、イエス様が昇天され、五旬祭の日に聖霊が下り、使徒たちは数々の奇跡の徴を顕しながら神殿の内外で宣教に励んでいました。

 ご存じのように旧約聖書はユダヤ教の聖典ですが、その旧約聖書に記された預言が主イエスによって成就されたことを告げ知らせるために、使徒たちはユダヤ教神殿の中で宣教を行っていたのです。ところが、イエスを旧約聖書に預言された救い主とは認めがたいユダヤ教の祭司たちは、使徒たちが間違った教えを広めていると考え、「イエスの名によって教えを広めてはならない」と、厳しく注意をしました。しかし、主イエスと共に過ごし、十字架と復活を目の当たりにし、昇天に居合わせた使徒らにとって、それら一連の事柄の証人として事実を曲げて語ることなどできよう筈がありませんでした。

 使徒らの証言に、ユダヤ教の強迫的な教理に抑圧されていた多くの人々が回心し、次々とイエス様を信じる者が起こされていきました。この間、使徒たちは投獄されたりなど多くの迫害を受けましたが、神からの報復を恐れた祭司らによって一旦釈放されることになりました。使徒たちの証言によって救い主イエスを信じた人々は、それぞれに自身の財産を寄進し、集まって共同生活を始め、その群は日増しに大勢になっていきました。

・初代教会の中の差別
 ところで群れにはヘブライ語を話すヘブライストと呼ばれるユダヤ人と、ローマやギリシャなど異国から帰ってきたヘレニストと呼ばれるギリシャ語を話すユダヤ人とがいました。ところがある時、ギリシャ語を話すユダヤ人たちから、自分たちの仲間である未亡人への日々の分配が差別されていると苦情が使徒に寄せられました。およそギリシャ語圏で夫や子どもと共に生活していた女性が何らかの理由で夫に先立たれたのでしょう。エルサレムに戻って初代教会に全財産を寄進し、信徒の群れに加わって共同生活を始めていたのです。

 この共同体では誰もが自分の持ち物を主張することなく、すべての物が共有され、必要に応じて分配されたと4章に記されていますが、実際には差別が生じていたようです。ヘブライストとヘレニスト、つまりは生粋のユダヤ人と、出戻りのユダヤ人とでも言いましょうか、その差異に対して待遇に違いがあったようなのです。およそ、生粋のユダヤ人がそうではないユダヤ人に対して優位に立っていたのでしょう。

 こうした苦情が巻き起こってくる背景には、共同体としてのエルサレムの教会を統治する組織が未成熟であったことをうかがい知ることができます。教会の運営はそれぞれの良識に委ねられ、それまではそれで十分機能していたのでしょうが、群れが大きくなって、細部に使徒の目が行き届かなくなると、もめ事が多発し、その度に使徒が揉め事の仲裁に入らなければならない場面が増えてきていたのだろうと考えられます。

 「お弟子さんのAさんはこうしなさいと言ったのに、弟子のBさんはああしなさいと言った。どっちが正しいか、使徒様にお伺いを立てよう・・・」と。似たようなことは私たちの教会でも起こりがちなことです。この時点で、実際に何人の人達がこの共同生活に加わっていたのか、はっきりとした人数はわかりませんが、2章では1日で3,000人もの人がイエスを信じたとありますし、4章にも5,000人という数字が出てきます。勿論、それらすべての人が共同体に加わったわけではないのでしょうが、それにしてもかなりの人数が教会で共同生活を営んでいたであろうと推測することができます。

・ステファノが選ばれた経緯
 私は以前、6章の
「わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食事の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、”霊”と知恵に満ちた評判の良い人を7人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします。」

 というこの箇所を読んで、7人の炊事係を決めたのだとばかり思っていました。というのも、若い頃、九州の福祉施設のある園長から「わたしたちがやっている福祉の仕事は、ステファノがしたような裏方の地味な仕事だ」と聞かされていたからです。思慮の浅い私はそれを鵜呑みにして、今日までてっきり、「霊的にも実務的にも人格的にも優れていながら、台所に押しやられて文句の一つも言わず、黙々と飯炊きの務めを果たしたステファノは、なんと忍耐強い人なんだろう。ああ、福祉家とは斯くあるべきなんだなぁ」なんて、勝手に理想化していましたが、今回メッセージの準備に当たって繰り返し繰り返し今日の日課を読むうちに、そうした自分の解釈が間違っていたことに気付かされたのです。実は、かなり以前から炊事係にしては随分メッセージの奉仕もしてるし、不思議だなと聖書の記事に矛盾も感じてたんですが、偉〜い先輩の言うことだからと探求せずにいたのです。

 考えてみればそこに集っている人々は決して病人でも怪我人でもありませんし、自らの力で食事の用意ができない人達でもありません。弟子たちにわざわざ食事を作ってもらわなければならない人たちでもないでしょうし、人数的にも7人の炊事係で事足りるほどの共同生活でもないはずです。それに、苦情が寄せられたのは調理の内容に対してではなく、分配差であることを思い返せば、ステファノらに委ねられた職務は小麦を中心とした食材や衣類やお金の分配など、信徒の方々のお世話をすることにあったのです。それは、いわば生活協同組合のような、もっと言えば教会の財産を管理する執事の役割を委ねられたということだったのです。お恥ずかしい話しですが、私は今回ようやくそのことに気付かされたんです。

 さて、ステファノ達執事の選出方法は使徒による任命ではなく、信徒総会の場で会衆によって選ばれました。選ぶ際の要件は、先にも述べた通り、まず第一に、「霊的に優れ」、第二に「財産を管理する実務に丈」、第三に「人格的にも信望の厚い人物」というものでした。三つの条件を満たすものとして選ばれた執事はその殆どがギリシャ名の者ばかりでした。つまり、選ばれた7人は殆どがヘレニストだったのでしょう。そして、7人の執事は使徒によって按手を受け、使徒らに代わって共同体としての教会を統べ治める権限を委譲されました。こうして会衆は、トラブルの度に使徒に苦情を寄せる必要がなくなり、また、使徒達も福音宣教の活動に専念できるようになったということがあったのです。

 この信徒総会で選ばれたステファノは、教会のいわば執事頭的存在でした。ステファノは教会を守りながら、素晴らしい不思議なわざと徴を民衆の間で行っていましたが、それを快く思わなかった人々の妬みに遭い、「モーセと神を冒涜した」としてユダヤ教の律法学者らによって捕らえられ、最高法院に引き渡されてしまいました。何故、ステファノはそうした人々の妬みを買うことになったのでしょう。

・ユダヤ教神官の苦悩と陰謀
 先にもお話しした通り、初代教会は当時ユダヤ教の神殿で礼拝をしています。それは、イエスをキリストと信じるユダヤ人が、キリストの生涯をユダヤ教に連続した預言の成就と信じていたからに他なりませんでしたし、ユダヤ教の祭司らの間にも「もしかしたら預言された救い主だったのかもしれない、もしそうだとしたら彼らを弾圧することは神に逆らうことになって、神の怒りを買うことになるかもしれない」との、恐れがあって半ば黙認されていたことによるのです。ユダヤ教の祭司の間では、イエスが偽の預言者であればいずれ自然消滅するだろうからと、しばらく様子を見ることにしていたのです。しかし、自然消滅するどころか、イエスを信じる者が次々と起こされ益々拡大するのを見るにつけ、イエスを信じる初代教会は祭司らにとって次第にユダヤ教を脅かす目の上のたんこぶになってきていました。ですから、なんとかしてイエスを信じる者達を神殿の境内から追い払いたいと考えるようになっていました。ステファノ事件は正にそのような時に起こされた事件なのです。

 この事件は、仕組まれた事件であったと言うことができます。ステファノは奴隷から解放されたユダヤ人と、キリキアおよびアジアから帰ってきたユダヤ人らによって濡れ衣を着せられた格好になってはいますが、およそ初代教会の存在を快く思っていなかったユダヤ教上層部の誰かによって裏で糸が引かれていたのではないかと推測することができます。
 と、ここまでお話しすると、ステファノの殉教がイエス様の十字架と似ていると気付かれた方もあるかと思います。実は色んな点で、イエス様の十字架への道のりと似通った部分が多くあるのです。

・ステファノ事件とイエスの十字架の一致
 イエス様の時は大祭司カイアファの糸引きで、ユダがイエス様を裏切り、最高法院へと引き渡しました。同じようにステファノ事件では実名は出てきませんが、奴隷から解放されたユダヤ人らによって最高法院へと、その身柄が引き渡されています。そして、イエス様の時には最高法院の裁判で二人の者が「この男は、『神の神殿を打ち倒し、三日あれば建てることができる』と言いました。」と証言しますが、ステファノの時にも、奴隷から解放されたユダヤ人らによって「彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」との証言によって、弁明を求められるのです。

 イエス様ははっきりと弁明なさいませんでしたが、「神の神殿を打ち倒す」、或いは「この場所を破壊する」という言葉に、「46年もの歳月をかけてソロモン王が建立した神殿(実際のところ、ソロモン王の建立した贅の限りを尽くした神殿はバビロンによって破壊され、当時の神殿は捕囚後に再建された二代神殿と呼ばれる、やや粗末な造りの建物だったようです)を、三日で建てるとはホラを吹くにもほどがある」と、表面的な理解しかできなかった祭司らに対して、ステファノはそもそも「神殿」とはどういうものであったかについて次のように語って聞かせました。

・真の神殿
 モーセは神様から直接「見た通りに作りなさい」と指示されて、幕で聖所を作りました。そして、そうした幕屋はダビデ王の時代まであったにもかかわらず、ダビデ王は幕屋ではない石造りの神殿を建てたいと願い、ソロモンによってエルサレムの神殿が完成されました。しかし、ステファノは、イザヤ書66章に記された
「天はわたしの王座、地はわたしの足台である。人の手によって造られた神殿で私が安息できると思うのか」という意味の、みことばを引用して、人がどんなに立派な建物を建てたとしてもそれは人の手によるもので、神の業に勝るものではないし、神は神ご自身が創造されたものの中でしか憩われることはないと説いたのです。

 神の創造されたもの、それはつまり、自然であり、また人のことです。イエス様の語られた「打ち壊す神の神殿」とはご自身のことであり、「三日で建てる神殿」も復活後のご自身を示唆された言葉でしたが、当時の大祭司カイアファにはそのことが理解できませんでした。

 また、ステファノによって語られた「この場所を破壊し」というのは、イエス様の十字架のあがないによって救いが完成され、旧約の時代が終わることを、また、「モーセが伝えた慣習を変える」とは、そのことによって神様との新しい契約が始まっていることを伝えようとしたのですが、最高法院はステファノの言葉に耳を貸そうとはしませんでした。

 何故なら、イエス様の時と同様に、ユダヤ教最高法院には最初からステファノを殺そうという目論みがあったのです。しかもその目論みは、ステファノ個人を糾弾することではなく、イエスを信じる群れを弾圧しエルサレムから追放することにありました。そう考えると、もしもステファノが執事頭でなかったなら、ステファノは最高法院に引き渡されることはなかったのかもしれません。そこには明らかに政治的な意図があったと考えられるのです。このことからも分かるように、最高法院の祭司らには、もともと悔い改めをする心の準備などありませんでした。イエス様が「聞く耳のある者は、聞くが良い」とファリサイ派や律法学者らの前で繰り返し言われましたが、ステファノの前には聞く耳のある者は一人もいなかったのです。

・異端から異教への烙印
 さて、最高法院の裁判でステファノの弁明を聞く祭司らは、全くもって面白くありませんでした。ステファノの弁明は弁明と言うより、むしろ説教に近かったからです。自分たちにとって知り尽くしている聖書の歴史を繰り返された挙げ句に、旧約の時代に預言された真実の救い主を、あなたがたが十字架につけたと責任を追及され、悔い改めを促されたからです。立派な石造りの神殿で、祭司として、或いは大祭司として仕えている者達にとって、それは、喩えて言うなら大学の学長や教授陣が助手的立場の者に教え諭されているような、権威をないがしろにしている行為として見て取れたことでしょう。彼らはカンカンに怒って「こんちくしょう!!」と思ったようです。すぐさま表に連れ出して都の外に連れ出し、崖から突き落としてステファノが絶命するまで石を投げ続けたのです。しかし、最高法院がいくら激高したからといって、あまりに早すぎる処刑です。何故なら、当時はローマ帝国の統治下にあり、処刑の際には必ずローマ政府当局の許可を受けなければならないことになっていたからです。しかし、刑はすぐに執行されました。あまりに早い処刑は、当時のユダヤ教が初代教会の勢力をいかに脅威と感じていたかを、うかがい知るのに余りあります。

 
このステファノ事件を口実として、イエスに従う初代教会を異端ではなく明らかな異教として弾圧し、おおっぴらに迫害が始まりました。それによって多くのイエスを信じる人々がエルサレムを追われ、ユダヤ、サマリア、フェニキア、キプロス、アンティオキア(人口50万人を超えるローマ、アレキサンドリアに次ぐ世界第三の都市)まで散らされていきました。

・クリスチャンの誕生
 それぞれの地で宣教は続けられていましたが、当時の宣教は、まだユダヤ人に限られたものでした。ところが、アンティオキアに移住してきたユダヤ人の中にキプロス人とクレネ人が数人混じっていて、ヘレニスト(ギリシャ語を話すユダヤ人)以外の人々に対しても宣教を始め、異邦人伝道が始まりました。つまり、それまで、アンティオキアの教会はアンティオキアに住むユダヤ人のための教会でしたが、ユダヤ人以外の異邦人が集う初めての教会となったのです。人々の間で
アンティオキア教会の信徒をクリスティアノス(ギリシャ語)とのニックネームで呼ぶようになったという記事からも、大都市アンティオキアで信徒の存在が注目されていたことをうかがい知れます。当時アンティオキアは歓楽と堕落に満ち満ちた町でしたが、そのような場所にあって信徒らが生き生きと証をし生活をしていたことが、そうしたニックネームを生み出すことにつながったのではないかと思われるのです。これが、最初にクリスチャンと呼ばれた人々です。

 エルサレムでその噂を聞いたバルナバはアンティオキアを訪れ異邦人の集団的な回心を目の当たりにしました。そして、どんなことがあってもこの異邦人信徒らが神から離れるようなことがあってはならないと、大切に大切にその霊的成長を助けることを決意し、わざわざタルソスまでサウロを探しに出かけ、連れ帰ってサウロと共に丸1年の間、この教会の成長を助けたのでした。バルナバにとって、エルサレムの大迫害の後に見たアンティオキア教会の成長は、本当に本当に嬉しいものだったに違いありませんでした。そして、このアンティオキア教会の成長は、後のパウロの世界宣教に少なからず勇気と確信を与えたのではないかと思うのです。

・最も大いなる愛
 ところで、話しをステファノに戻しますが、先にもお話ししたようにステファノは個人的な理由で糾弾され処刑されたわけではありません。それは、イエス様も同じです。そして、そのイエス様が、ヨハネによる福音書15章13節以下で次のように語っておられます。

15:13「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 15:14 わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 15:15 もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。」

 イエス様は、わたしたちを友と呼び、友と呼ぶわたしたちの罪のために十字架にかかってわたしたちの罪を精算して下さいました。そして、ステファノも友である兄弟姉妹のためにその命を捧げました。しかし、わたしたちを友と呼んだすぐ後に続いてこう言われます。

・神様の命令として
15:17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。

 友であれば、友に命令することはありません。この命令は、権威ある者としての神としての命令です。イエス様はこの箇所で、
「十字架に架けられ命を捧げるわたしは、あなたがたの友として命を捧げるのです。わたしが身をもって最も大いなる愛の手本を示しますから、わたしが命を架けてあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」と、十字架のもう一つの意味を教えておられるのです。

 わたしたちの持ち合わせている愛は、イエス様の愛に到底及ぶものではありません。しかし、

「愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」 

 と、教えておられます。そして、

 
わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。

 と、ステファノが語ったように、わたしたちが互いに愛し合うならば、わたしたちを神殿として神様がとどまって下さると約束して下さっているのです。
立派な石造りの会堂が神殿ではありません。わたしたちこそが神様の神殿なのです。神様に愛されていることを日々喜び、愛の神殿をわたしたちの内に建て上げましょう。なぜなら、神は愛だからです。神は、愛のある所にしかとどまられないからです。