「 主 の 祈 り 」

 新約聖書の福音書記事(マタイ6:9−13、ルカ11:2−4)「山上の説教」で、弟子の一人が「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と願い出たのに対して、「祈る時には、こう言いなさい」とイエス様が教えてくださった祈り、それが「主の祈り」です。
 現代では、礼拝の中で必ず唱和されますが、正式に礼拝の中で唱えられるようになったのは3世紀頃からで、その頃に末尾に頌栄(
国と力と栄えとは・・・以下)が付け加えられたようです。

 プロテスタント系の教会では今でも文語調の
「主の祈り」が用いられていますが、これは明治頃の翻訳が、ほぼそのまま使われているためです。第二次大戦後、昭和20年以降にいくつか口語訳の「主の祈り」が作られましたが、結局七五調リズムの現在のものが支持され続け、今に至っています。

 しかし僕自身子ども時代には、その古典的な言い回しから、実際にはどんなことを言ってるのかよく解らないまま暗唱していたと記憶しています。もっとも教会学校教師らによって解説を与えられてはいましたが、あまりに日常とかけ離れた言い回しに、一語一句を噛みしめながら祈ることなど到底できはしませんでした。
「主の祈り」を子どもの頃の僕は、まるで教会のお経(お題目)のように受けとめていたんだろうと思います。


「主の祈り」−プロテスタント系−

●天にましますわれらの父よ

●ねがわくは み名をあがめさせたまえ

●み国を きたらせたまえ

    みこころの天になるごとく
      地にもなさせたまえ
●われらの日用のかてを
    今日もあたえたまえ


●われらに罪をおかすものを
    われらが許すごとく
      われらの罪をもゆるしたまえ
●われらをこころみにあわせず
    悪よりすくい出したまえ


○国と力と栄(さかえ)とは
    限りなく なんじのものなればなり


○アーメン
               
               
                  
(YACCOの解説)
◆天国にいらっしゃる父なる神様
◆許されるなら、あなたの聖名(みな)を誉め讃
  えさせてください

◆天国で神様の御心が行われているように、
  地上でもあなたの御心が支配する平和な 
  世界が実現することを願います。

◆生活をしていく上で必要な日々の糧(身体
  的な養いのための衣食住と霊的な養いのた
  めのみことば)を、今日この日も与えてくださ
  い。

◆私たちの間に罪を犯す者を私たちが赦します
  から、私たちが神様に対して犯してしまった
  罪を、どうか赦してください。

◆私たちを事故や災害や犯罪などの被害や病
  気、信仰をおびやかすような誘惑や試練に
  遭わせることなく、悪の手から救い出してくだ
  さい。

◇天と地のあらゆるもの(森羅万象)、そしてそ
  れを司る権力、そこに顕される栄光のすべて
  は、世々限りなく永遠に神様あなたのもので
  す。
◇誠にその通りです


 最近になって、2000年2月15日から日本聖公会とカトリック教会で共通口語訳の「主の祈り」を使用するようになっています。僕たちが日常で使っている話し言葉に訳されていて、子どもたちにも理解しやすいものになっています。

 幼い魂への伝道のためにも、プロテスタント系においても、より多くの方が理解しやすい言葉で表現すべき時代が来ているように思います。
 子どもに”易しい”ことは、すべての人に”優しい”ことでもあるのです。

「主の祈り」−日本聖公会&カトリック系−
 
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を
今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。
アーメン