使徒信条
(西日本福音ルーテル教会訳)

 我は天地のつくり主(ぬし)、父なる全能の神を信ず。

 我はそのひとり子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死して葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目によみがえり、天に昇り、父なる全能の神の右に座したまえり。生ける人と死にたる人とを審(さば)かんがため、かしこより再び来たりたまわん。

 我は聖霊を信ず。また、聖なるキリスト教会、すなわち、聖徒の交わり、罪の赦(ゆる)し、体(からだ)のよみがえり、限りなき命を信ず。 アーメン。

 教団(教会)によって、若干翻訳が異なりますが、内容までが異なることはありません。

 使徒信条は、誰の手によるものか詳細は不明ですが、起源がはっきりしないうちは使徒によって書かれたと信じられ、長い間「使徒の信条」と呼ばれました。後の研究で2世紀後半のローマ信条(洗礼告白文)を下敷きに作成された信仰告白であることが、ほぼ明らかになりましたが、現在と全く同じ文形で確認された最も古い文献は5世紀のものです。今日では、私たち信仰者の信条として「使徒信条」と呼んでいます。

 現在、殆どの教団(教会)の日曜礼拝の中で、聖書日課朗読の後に、信徒と教会の信仰告白として唱和されています。

 

ニケア信条
(ニカイア信条)

 われは唯一の神、全能の父、天と地と、すべて見ゆるものと、見えざるものの造り主を信ず。

 われは唯一の主イエス・キリストを信ず。主はよろず世のさきに父より生まれたる神のひとり子、神よりの神、光よりの光、まことの父よりのまことの神、造られずして生まれ、父と同質にして、すべてのものは主によりて造られたり。主はわれら人類のため、またわれらの救いのために天より下り、聖霊によりておとめマリヤより肉体を受けて人となり、われらのためにポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられ、苦しみを受けて葬られ、聖書に従い三日目によみがえり、天に上り、父の右に座したまえり。また生ける人と死にたる人とをさばくために、栄光をもって再び来たりたまわん。そのみ国はおわることなし。

 われは主にしていのちの与え主なる聖霊を信ず。聖霊は父と子とよりいで、父と子とともにおがみあがめられ、預言者によりて語りたまいし主なり。われは唯一の聖なる使徒たちよりつたわりしキリスト教会を信ず。われは罪のゆるしのための唯一の洗礼を信認す。死者のよみがえりと来世のいのちを待ち望む。 アーメン

 東西両教会の総会議が325年にニカイアの地で開催された折りに、アリウス主義(キリストの神性を否定)の異端に対して正統的信仰を表明するために作成された信条です。

 世界諸信条のうちの一つで、「使徒信条」に次いで重要視されている信条です。

 日本聖公会、日本福音ルーテル教会の礼拝中で唱和されています。