ク リ ス マ ス |
”クリスマス”は「クリスト=キリスト」と「マス=ミサ」を語源とする言葉で、直訳すると「救い主・礼拝」という意味になります。 クリスマスはイエス・キリストの聖降誕日とされていますが、イエス・キリストのはっきりとした誕生日は聖書にも記されていません。3世紀の中頃にサンドリアのクレメンスが5月20日をキリストの聖降誕日と推測しましたが、それまでは、教会でも聖降誕日を記念日として祝う習慣はなかったようです。4世紀後半になって、ようやく毎年祝われる恒例行事として定着しました。 最初にクリスマスが12月25日に祝われたのは、4世紀(336年)のこと。コンスタンティヌス帝統治下の神聖ローマ帝国によって定められました。それまでは、顕現日(東方の博士が幼子イエスを訪れた日)の1月6日をキリストの聖降誕日として祝っていたようですが、聖降誕日が12月に移動したのは、当時ローマで勢力を拡大しつつあった太陽神を崇拝する異教に対抗したためであったと伝えられています。時を同じくして、コンスタンティノポリスとアンテオキアでも12月25日をクリスマスとして守り始め、6世紀(530年頃)にはアレクサンドリア、まもなくエルサレムもそれに従ったようです。 月日がいつであったかの是非は別にして、西暦−7〜4年頃にマリアとヨセフの間にイエス(=ギリシャ語読み。現地語読みではヨシュア)という子どもが生まれたことは、まぎれもない事実ですから、今では世界中で12月25日をイエス・キリストの聖降誕日”クリスマス”として祝っているのです。 また、12月24日をクリスマスと勘違いしている方があるようですが、24日はクリスマスを迎える前日、クリスマス・イヴです。クリスマス前夜(イヴ)に信徒が教会に集ってキャンドルを灯し、礼拝をしながら静かに12月25日を迎え、祝ったのです。 日本の誰もが知っているクリスマス。でも、クリスマスがイエス・キリストの聖降誕日だと知っている日本人は25パーセント以下だと言われます。後の75パーセントの人は、子どもがサンタ・クロースにプレゼントをもらえる日であるとか、恋人たちがツリーの前でワインを飲んでケーキを食べる日だなんて真面目に信じている人がいるんですよ。 アドベント(待降節)11月30日(日)から教会暦の新年が始まります。指折り数え、待ち望みつつ”クリスマス”を迎えたいものです。 |
クリスマス・ツリー |
クリスマス・ツリーの起源については色々な説がありますが、どうやらドイツで生まれたことは間違いがないようです。神聖ローマによってドイツにキリスト教が伝えられるまで、ドイツには大木に神が宿るとして信仰する習慣がありました。それが、クリスマス・ツリーになったという説が最も有力ですが、他にも教会で上演されたアダムとイブの演劇舞台の大道具で、もみの木にリンゴをぶら下げたのが始まりだという説もあります。 クリスマス・ツリーに飾り付けるオーナメントの起源についても色々な説があって、上述したリンゴが始まりだというものもあれば、フランスの歳末助け合いが起源だとするものもあります。フランスの歳末助け合いとは、年末に各家庭で不要になった衣類や雑貨を、家の通りに面した木の枝に引っかけて貧しい人々に施したというものです。 ピカピカ光る電飾は、元々はキャンドルですが、救い主イエスの降誕を、闇に支配されたこの世にもたらされた光として象徴したものです。 てっぺんに飾られる星は、東方の博士たちが嬰児(みどりご)イエスを礼拝するために、旅の目印とした星を表しているんですよね。 |
サンタ・クロース |
「サンタ・クロース=Santa Claus」って、想像上の架空の人物だって思っている人が結構いるようですが、実は3〜4世紀に実在した人だったってこと、知ってますか? 現在のトルコに位置するルキアのミラという地方教会の主教、つまり司祭だったんですね。まぁ、平たく言えば神父さん。名前は「ニコラウス=Nicolaus」。当時からヨーロッパでその名はよく知られていたみたいなんですけど、多くの部分で伝説化していてホントのところはよく分かってないことの方が多いんです。ヨーロッパで彼は船員の守護聖人とされていて、ついでに言えばロシアの守護聖人ともされています。カトリック教会によって聖人とされた人を呼ぶときに、冠に聖人の証として「セント」を付けて呼ぶんですが、呼ぶうちに「セント・ニコラウス」が訛(なま)って「サンタ・クロース」になったようです。 じゃあ、どうしてそのニコラウスさんが贈り物を届けるサンタさんに結びついたのかってことになるんですが、年の瀬にニコラウスさんが貧しい家庭に、その家の窓の隙間から金貨を投げ入れたっていう噂が伝説化してオランダに伝わったみたいなんですね。ちなみに、窓から投げ入れた金貨が、干してあった靴下に入ったという噂もあったようです。 オランダでは、今でも12月6日の夜にセント・ニコラウス(オランダ語では、シンター・クラウス)主教に扮した人が家々を回って、1年間良い子でいた子にお菓子なんかのプレゼントを配って回るお祭りがあるんです。でも、悪い子の家には秋田の「ナマハゲ」にそっくりな悪魔に扮した人が大声で怒鳴りながら乱入して子どもを戒めるんですよ。 どうやって良い子と悪い子を見分けているのか、多分こっそり親から情報が流れているんだと思うんですけど、結構シビアですよね。クリスマスぐらいみんないい子っていうことにしてやっても・・・とも思うんですけど、観点を変えてみれば、逆にそれだけ町内で互いの家の子どものことを知り合ってるとも言えるんですよね。もしかすると、それって本当はすごく素敵なことのような気もします。 まぁ、それはさておき、そうしたオランダの習慣が、アメリカのニュー・アムステルダムに移住したオランダ人プロテスタントによってアメリカ中に広まって、今では日本でもお馴染みになっているんです。サンタ・クロースは、オランダ語のシンター・クラウスを英語読みした言い方だったんです。 ところで、オランダのサンタ・クロースは先述したように、まさに「主教=司祭」の格好をしてるんですが、私たちが知っているサンタ・クロースって赤い帽子に赤い服着てますよね。あれは、実はコカ・コーラのイメージカラーだったんです。1931年にコカ・コーラが冬の販促宣伝用にニュー・ヨークのビルの屋上に大看板を取り付けたんですが、そこに、お馴染みの衣装に白いヒゲ、丸い鼻にテカテカほっぺのおじいさんが描かれたのが始まりなんです。描いたのはハッドン・サンドブロムという画家。コカ・コーラを手に持っている笑顔のサンタ・クロースが、世界恐慌後のアメリカ国民に一滴の安らぎを与えたんでしょうね。いつしかサンタ・クロースといえば、あの扮装っていうことになっていったんです。 でも、この話、サンタ・クロースを信じている小学生には内緒にしといてくださいね! ちなみに、うちの娘は中学1年生になってもなお、信じていましたが12月9日の夜に、このページを見せて真実を伝えました。「えーっショック!信じてたのにー。友達にもみんなに言って回ってたのにー!」と言っていましたが、1年前から「サンタさんにプレゼントをもらえるのは小学生(子ども)までなんだよ。中学生になったら大人の仲間入りをするから、代わりにお父ちゃんがプレゼントを買ってやるからね」と伏線を張っておいたので、ショックとは言いながらどこかしら嬉しそうでした。 そして、振り返りながら、「●○も、□▼も、お父ちゃんとお母ちゃんだったの?」と聞いては、「じゃあ、お父ちゃんとお母ちゃんで買いに行ってくれたの?」と、ひとしきり過去のサンタさんからのプレゼントを確認していました。 小学4年の弟には知られないように、「お父ちゃんとお母ちゃんと、ヒーちゃん3人の秘密だよ。」と言うと、チョッピリ大人の仲間入りをしたのが嬉しかったようで、満面の笑顔を見せていました。 |
聖しこの夜 |
クリスマス・ソングの定番といえば、誰でも最初に思いつくのが「聖しこの夜」ですよね。 ご承知のように、この歌は言わずと知れた讃美歌です。讃美歌といえば、オルガンで伴奏するものと誰もが思うところですが、なんと「聖しこの夜」が最初に発表されたときは、オルガンで演奏されなかったってこと知ってますか? この歌が生まれたのは、1818年。オーストリアのオーバンドルフという小さな村の教会でのできごと。その年のクリスマスを目前にして、なんと教会のオルガンが壊れてしまったのです。急いでオルガンを修理しようとも考えましたが、オルガン職人は遠くの町にいて、村まで来てもらおうと思っても何日もかかってしまいます。クリスマスまで、もう何日もありません。このままではクリスマス礼拝で伴奏ができないと、若いヨーゼフ・モール牧師は困り果ててしまいました。一生懸命、神様にお祈りをしました。そして祈りの中で、彼はギターで歌うクリスマス讃美歌を作ることを神様に示されたのでした。 若い牧師が詩を書き、学校の先生をしていたフランツ・グルーバーさんがギターで曲をつけてくれました。そして、クリスマス当日にはギターの弾き語りで二人のデュエット讃美が村の小さな教会の会堂に響き渡ったのです。皆さんご存じの、あのメロディーです。おごそかな中にも温かさにあふれたそのメロディーは、またたく間に小さな村から世界中へと広がっていきました。 神様のなさることは、実に不思議です。もしも1818年に、この小さな村の教会のオルガンが壊れなかったなら、この歌が生まれることはありませんでした。でも、オルガンが壊れたことをきっかけに「聖しこの夜」は生まれたのです。神様は、一見災いに思えることでも必ずそれを益に変えてくださるお方なのです。 |
BGMは「Noel Birth-Night」です。