まめ知識

  イースター(復活祭)  
 復活祭は、クリスマスに次ぐイベントとして知られてるけど、実はキリスト教の歴史の中では2世紀頃から守られてきた、最も古い記念日なんだ。その意味では、クリスマス以上に意味深い記念日と言うことができるんだよね。聖書が「旧約=旧い契約(約束)」と「新約=新しい契約(約束)」に分かれているように、イエス・キリストの復活は神と人間との間に新しい契約を完成する出来事だったんだ。

 その契約とは、神の独り子イエス・キリストが生け贄(罪を犯したことのない、一点の汚れもない者にしかできない)として、人類のすべての罪を背負って死んでくださり、ご自分の命を代価としてわたしたちを贖(あがな)ってくださったってこと。そして、自身の神性によってキリストが復活を果たされたことで、これが紛れもない神との契約であることを証しされたんだ。
 ちなみに、「贖う」とは「買い戻す」の意味で、「罪」と「死」の奴隷となっているわたしたちを買い戻し、永遠の命(霊的な)へと解放してくださる約束を意味しているんだ。

 ところでイースター(Easter)という語は、チュートン人の春の女神=Eosterを崇めて守った春祭りから派生した語で、イエス・キリストの復活とは直接関係のない言葉だったってこと知ってる?
 陽のいずる東に甦りを象徴したのだろうと言う人もいて、なるほどとうなづいてしまいそうだけど、実は異教の春祭りの名前だったんだ。
 もともと復活祭はギリシャ語で「パスカ=pascha」と呼ばれていたんだ。それはイエス・キリストの復活が、旧約聖書に登場する「過ぎ越しの祭り=Pesah(ヘブル語)」と同時期に起こったことで、新たに復活の意味も含めて同じ言葉で呼ぶようになったんだけど、それがギリシャ語に訛って「パスカ」と呼ばれるようになってたんだよね。だけども、パスカと言う名称では通りが悪かったのかな?当時の教会は、いくつもあった異教の春の祭日を復活日に習合させて、イースターと呼ぶようになったらしいんだよね。やがて中世になって異教の春の祭日は廃れ、復活祭としての意味だけが残り、イースター=復活祭となったんだ。

 ちなみに、キリスト教会ではイースターの日に鶏の卵(大抵はゆで卵)を贈る慣わしがあるんだ。卵を贈るのは卵が生命の復活を象徴しているとばかり思っていたんだけど、もともとは四旬節(大斉)の間に卵を食べることが禁じられていて、復活日にはそれを食べてもよいことになるというのが本来の意味だったんだって。知らなかったなぁ・・・・。まぁ、言ってみれば精進落としみたいなモンなんだろうか・・・。

 さて、イースターはイエス・キリストが十字架につけられて三日後ということなんだけど、何月何日だったのか、はっきりとした月日は解っていないんだ。解っているのは、十字架につけられたのが金曜日で、復活されたのが日曜日だってこと。そのため、キリスト教国では8世紀以降になって春分の日(3月21日)以降の最初の満月の後に来る第1日曜日と決めたらしいんだよね。

 ついでに言うと、イエス・キリストが復活されるまで、ユダヤ教は週の最終日である土曜日(天地創造を終えた神が7日目に休まれた)を安息日として礼拝を守ってきたんだけど、イエスをキリスト(救い主)と信じたキリスト教徒らによって、復活の日であった日曜日を安息日として礼拝が守られるようになり、神様との間に結ばれた新しい契約を象徴してきたんだ。言い方を変えれば、イエス様の復活を記念して毎週日曜日にお祝いをしているとも言えるんだよね。だから、教会の礼拝は仏教で言うところの「おつとめ」と言うより、「お祭り」に近くて、信徒が喜んで教会に足を運ぶ日でもあるんだよね。

 このように、キリスト教会とは、イエスを神のひとり子である救い主と信じて、そのイエスが人類の罪を贖(あがな)って死に、そして復活されたことを信じ、喜ぶ者達の集まりなんだ。
あなたも、是非、日曜日にはキリスト教会にお越し下さい。


  母 の 日  
 「母の日」の起源はというと、今から100年近く前、1905年のアメリカでの出来事に遡るんだ。
 ウェストバージニア州シアトル市のウェブスターという小さな町の教会で日曜学校の教師をしていたジャービス先生が突然の病気でなくなってしまったんだ。ジャービス先生はまるで日曜学校のお母さんのような優しい存在だったから、悲しみにつつまれた日曜学校の子どもたちが話し合って、ジャービス先生の命日(5月9日)に記念会をすることにしたんだって。そして、その日には「教会へ集まって先生のお話をしよう」「先生のお嬢さんのアンナさんをお呼びしよう」って決めて、その日を迎えたんだ。記念会の日に、娘のアンナさんは生前お母さんがこよなく愛した白いカーネーションの花束をかかえて訪れ、亡くなったお母さんに沢山のカーネーションを捧げたんだって。

 この話が口々に広まって、お母さんに感謝する日を作ろうっていう運動になり、1908年にシアトル市で初めて「母の日」が制定され、この運動は全米へと広がっていったんだ。アンナ・ジャービスさんの働きかけによってアメリカ議会でも話し合われることになり、1914年に時の大統領であったウィルソンによって5月の第2日曜日を「母の日」とすることが正式に発布されたんだ。

 ところでジャービス先生の夫は実は牧師さんだったんだよ。ジャービス夫妻にはアンナ以外にもう一人盲目の娘がいたんだけど、娘たちが幼い頃に、牧師であった夫を亡くし、ジャービス先生は女手一つで二人の娘を育てあげた苦労の人でもあったんだね。先生は夫の愛した教会で26年もの間教会学校教師として奉仕しながら、その生涯を終えたんだ。

  母の日の花にカーネーションが選ばれたのは、ジャービス先生が生前最も愛した花だったことがいちばんの理由ではあるんだけど、実は、カーネーションはもともと母性愛の象徴とされていた花だったんだよ。というのも、十字架上で息を引き取るイエス・キリストをゴルゴダの丘で見送った、母マリアの瞳から流れ落ちた涙の跡に一輪のカーネーションが咲いたという言い伝えがあったからなんだ。また、王冠に似た花びらの形から、花を編んで王冠を作る慣わしが古くギリシャにあって、ローマでそれまで「ジュピターの花」と呼んでいたその花を、戴冠式を意味するコロネーション(coronation)と呼ぶようになり、現在のカーネーション(carnation)になったと言われてるんだ。正にキングオブキング=イエス・キリストにふさわしい花として、子を思う母マリアが涙で咲かせた花と言うことができるんだよね。

 おおよそ、こうした伝説を牧師の未亡人であり、教会学校教師であったジャービス先生は知っていたのかもしれないね。だからこそジャービス先生はカーネーションをこよなく愛し、娘のアンナもそのことを知ってたんじゃぁないかなぁ。

 日本では1912年(明治45年)に、全国のキリスト教会の行事として「母の日」が初めて記念されたと昭和25年の新聞記事で報じられてるんだけど、大正4年当時、青山学院大学教授だったアレクサンダー女史によって紹介され、婦人矯風会などキリスト教関係の団体が中心になってこれを広めたと伝えられてるんだ。それから昭和に入って、日本の「母の日」は皇后の誕生日であった3月6日(地久節)にされたんだけど、戦後になって再び5月の第2日曜日になったんだよ。

 母子家庭に育ったアンナの母への感謝は、とても深い感謝であったに違いないよね。
あなたは、あなたのお母さんにどんな風に感謝を捧げますか?