まめ知識


バレンタイン・デー
 皆さんよくご存じのバレンタインズ・デイ。
直訳すると「バレンタインの日」ですが、バレンタインって人の名前だったって知ってますか?正確にカタカナ表記すると
ヴァレンタインになります。もっとも、それも英語読みですけどね。現地語ではValentinusだからヴァレンティヌスと呼んだ方がいいかな。

 
ヴァレンティヌス(?−270年頃)はテルニーの主教で、ローマのクラウディウス帝の時代に殉教したと伝えたれているんだけど、2月14日って実はヴァレンティヌスの命日として伝説化してるんだ。つまり、殉教した日ってこと。この日をドイツでは運命の日、不幸の日として忌み嫌っているみたいなんだけど、フランスやアメリカでは求愛の日として人々の間で親しまれているんだ。日本もアメリカと同じだよね。

 日本では昭和11年にお菓子メーカーのモロゾフが伝えたのが始まりだっていう説があるんだけど、ホントのところ、はっきりしたことは分かってない。その後、メリーっていう高級チョコレートメーカーが、昭和33年に新宿・伊勢丹デパートで
”一年に一度、女性が男性にチョコレートを贈って求愛できる日”としてキャンペーンを始めたらしいんだけど、キャンペーン最初の年は5個(売り上げ金170円)しか売れなかったんだって。それから、森永も同様のキャンペーンを張って、少しずつバレンタイン・デーが庶民の間に浸透していったみたいなんだ。

 さて、ここからは伝説なので真偽のほどは定かではないんだけど・・・
200年代(3世紀)と言えば、ローマ帝国が支配していた時代。その頃、ローマの兵士として遠征に派遣される若者たちには、
”命を惜しみ、新妻のもとへ逃亡してしまうかもしれないから”という理由で結婚が許されていなかったらしいんだ。だけど、派兵される当の本人にしてみれば、明日をもしれない命なら、なおさらに生きているうちに好きな女性と結ばれたい」との願いを持っていても不思議ではないよね。それは、兵として赴く男性ばかりでなく、残される女性だって同じだったんだろう。そんな若者たちの姿を見るに見かねたヴァレンティヌス主教が、帝国に隠れて遠征前の兵士たちにこっそり結婚式をしてやっていたらしいんだよね。

 兵士の間に「ヴァレンティヌス主教は俺たちにも結婚を許してくださる」という噂が広まったかどうか定かではないんだけど、やがてヴァレンティヌスの仕業がローマ皇帝の耳に届くことになってしまったんだ。いくら愛の業とはいえ、ヴァレンティヌスの行いはローマ皇帝に楯突き、刃向かう行為になってしまうんだよね。しばらくしてローマに呼び寄せられ、2月14日に処刑されてしまったんだって。

 これがもとで、命がけで若者たちの
”愛”を守ろうとした人として、いつの頃からかフランスやアメリカで記念日として広がっていったみたいなんだね。

 ところで、欧米ではバレンタイン・デーに女性が男性にチョコレートを贈る習慣は無くて、恋人同士や夫婦が互いにプレゼントを交換するんだって。
 昭和30年代のメリーと森永のキャンペーンは、必ずしも成功はしなかったんだけど、昭和50年代に入って急速に庶民の間に定着。2月14日は
”一年に一度、女性が男性にチョコレートを贈って求愛してもよい日”として受け入れられるようになった。アメリカでもウーマンリブ運動が一段落して、日本でも男女同権の気風が高まりつつあった頃だったからかもしんないね。丁度時代的にマッチしたんだろう。
 でも、今じゃぁ、女性の方が強いカップルも多くいて、女性から
「告る」のも珍しくないから、それほど女性にとって有り難い日でもなくなったんだろうけど・・・。それが証拠に、チョコレートにもパロディー商品が目立つようになって、ドキドキしながら告白する日っていうより、ちょっぴり笑える日になっている気がする。

 ちなみに、
”ホワイト・デー”(3月14日)は、誰かの命日でも何でもなくて、福岡のあるお菓子メーカーが、メリーの商戦にあやかろうとして”マシュマロ・デー”と呼んだのが始まり。その後、他のお菓子メーカーが”クッキー・デー”と呼んだりしたんだけど、商品の名前が記念日の名前になるのって、夢がないって言うか、なんだか、いかにも商魂たくましいって感じがするよね。結局”ホワイト・デー”に落ち着いていったんだ。

 
あなたは今年のバレンタイン・デーに、何を贈りましたか?