十 戒(出エジプト記二十章三節〜十七節)
 チャールトン・ヘストン主演の、映画「十戒」(1956)を御覧になったことのある方が、どれくらいいらっしゃるでしょうか。

 まだ日本に白黒映画しかなかった時代に、天然カラー映画として全国で封切られた時、僕の母はその画面に食い入るように観たと言います。あまりにも壮大なスペクタクルに、我を忘れて見入ってしまった僕の母は、映画館で置き引きに遭い、ハンドバッグを盗まれてしまったほどでした。

 今では、CG(コンピュータ・グラフィック)でどんな物も自在に表現できるようになっていますが、当時の特撮は当時の人々にも同じような驚きと感動を与えていたのです。

 さて、御覧になった方はお解りのように、ファラオ・ラメセス2世が統治していたエジプトにあって、それまで430年あまりに渡って奴隷とされていたイスラエルの民(壮年男子だけで約60万人)が、神様に力与えられたモーセによって解放されました。 
 エジプトを発って荒野をさまよった後、シナイ山頂で神様がモーセに与えられた民への戒の命令が、いわゆる
「十戒」です。

 出エジプト記34章28節に記されている通り、
「十戒」は神様が人類に一方的に与えられた命令ではなく、人類との間に交わされた「契約の言葉」でした。

 この憲法とも呼ぶべき神様との基本契約は、読めば一見たやすいことのように思われますが、神様はこれらの中の禁止事項について
”心に思うだけでも罪を犯したことになる”と教えられます。その意味では、この契約を完璧に守ることのできる者は、イエス様を除いて皆無であると言わざるを得ません。

 神様の前に聖(きよ)くありたいと願いつつも、己の努力だけではその聖さを保てないが故に、私たち人間は悔い改めを通して、主イエス・キリストの十字架の贖(あがな)いに清められることなしに、神様の前に聖くあることは不可能なのです。