スピリット&沿革



デイヴィッヅ・ハープって言うバンド名は、旧約聖書に出てくる「ダビデの竪琴」から付けた名前なんだ。

 ダビデはイスラエルを代表する王様の名前なんだけど、小さい頃から王家に生まれた訳じゃなくって、実は貧しい羊飼いの家の7番目の男の子として生まれているんだ。少年時代に羊の番をしながら竪琴を手に持って奏でながら歌を歌っていたみたいなんだな。

 旧約聖書の中には、ダビデを中心に書かれた詩が150編収められている「詩篇」と呼ばれる箇所があるんだけど、聖書によれば当時は竪琴をかき鳴らしながら歌っていたらしいんだよね。だけど、楽譜なんかない時代だったから、今となってはその150編がどんなメロディーだったか知る術はないんだけどね。だけど、間違いなくダビデが歌をこよなく愛してたってことは伝わってくる気がするんだよね。聖書に出てくる最初のシンガー・ソングライターって言うことができるかもしれない。

 ダビデの竪琴については、下の写真のキンノル型だという説と、ネベル型だという説と二通りあるんだけど、僕たちは少年時代のダビデが大好きだから、きっと少年が手にすることができた竪琴はキンノル型だって考えたんだ。多分、王様になってからは色んな形の竪琴を手にすることができたんだろうとは思うんだけどね。でも、鹿の角使うなんてちょっと豪華そうで、羊飼いの少年には手にできなかったんじゃぁないかなって思ったんだよね。でも、キンノル型もよくよく見れば洗練されたデザインに見えなくもないんだけど・・・・・。まぁ、と言うことで、上に記したようなデザインを僕らのトレードマークにしてみたんだ。そして、少年ダビデの純粋な神様への信仰希望を歌い続けていきたいなって思ってバンド名にしているんだ。

 一人一人のメンバーが、キンノルの弦の一本一本になってハーモニーを醸し出す、そんなバンドを目指して楽しく、神様に感謝しながら活動を続けてるんだ。練習だって、とっても楽しいんだよ。


キンノル型

ネベル型


バンドを結成したのは、1996年の6月のこと。同市内のバプテスト教会の牧師さんから、「特別伝道集会に讃美をしに来てもらえませんか」っていう誘いをもらって出かけたのが最初だった。もちろん、その時点でデイヴィッヅ・ハープだった訳ではないんだけど、そのころYaccoSaccoの夫婦二人でデュオで歌ってて、最初は二人が誘われたんだ。だけど、丁度そのちょっと前に、現リーダーのともはるくん「一緒に讃美したい」って言ってくれてたもんだから、バプテスト教会の牧師さんに「3人で行ってもいいですか」って許可をもらって、トリオになったのが今から思えばデイヴィッヅ・ハープの最初だったんだなぁ。この時から、リーダーはともはるくんになった。

 その時は冗談でシスター&ブラザーズなんて言ってたんだけど、僕が個人的に「○○ズっての、スポーツチームみたいで、なんだか安直でいやだなぁ」って言って、3人であーでもないこーでもないって話し合ってるうちに、ノルウェー宣教師のバルヴォ先生がピアニストとしてメンバーに加わって、それからあきらくんがベーシストで加わったんだ。そして、いつの間にか、みんなでデイヴィッヅ・ハープって呼び合うようになってた。

 そうするうちにバルヴォ先生の任地が変わって、鳥取を離れることになって、ピアニストがいなくなって困るなぁって思っているところに、リーダーのともはるくんあきこさんをピアニストとしてスカウト
 しばらくデイヴィッヅ・ハープは5人でやってたんだ。ところが、2000年のクリスマス・イヴのこと、夜の燭火礼拝デイヴィッヅ・ハープが讃美することになっていたんだけど、Yacco&Sacco長女がマイコ・プラズマ肺炎で入院しちゃって、Saccoが当日歌えなくなっちゃったんだ。そこで、ピンチヒッターとしてともはるくんが声をかけたのがアキちゃんだったんだ。それから、デイヴィッヅ・ハープは6人になった。

 そして、2002年11月。アキちゃんが結婚するっていうことで、しばらくお休みをあげることにして、再びピンチヒッターとしてともはるくんが白羽の矢を立てたのが、ゆきちゃんなんだ。こうして今では、7人のメンバーになった。

 最近じゃぁ、僕たちデイヴィッヅ・ハープに憧れて、中高生だけでユニットを組んでデイヴィッヅ・ハープの歌をコピーしているリトル・ピーシーズ:Little Pie(ea)ces(小さな幸せの欠けら達)っていうバンドも生まれているんだよ。 

BGMは「minimum1」 by あきら